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今治城は、1602年に築城の名手・藤堂高虎が、瀬戸内海の築城予定地に海砂をかき集めて築城に着手しました。この城の内堀と中堀、外堀の三重の堀すべてには瀬戸内海の海水が引き入れられており、平城でもありましたが、巨大な海城としての性格も併せ持っていました。

松江城は、堀尾吉晴が宍道湖を見下ろす亀田山に5年の歳月をかけて築きました。また別名「千鳥城」とも呼ばれており、山陰地方において唯一現存する天守となり、その天守は外観五重内部六階の望楼型複合式天守で、姫路城に次ぐ平面規模を誇っています。

室町時代に築かれた葦名氏の黒川城を、蒲生氏郷が1592年から改修し、五重七階の天守を築いて、名称も黒川から若松に改めました。その後も蒲生氏や加藤氏によって、数度にわたる修築が行われた結果、東北地方屈指の名城となりました。

勝連城は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に建ち、沖縄の城の中でも最も古く、12~13世紀ごろに築かれたといわれています。この城は、標高約100mの台地に、いわゆる本丸と二の丸、三の丸が階段状に連なった構造になっており、南城、中間の内、北城で構成されていました。