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弘前城は津軽統一を成し遂げた津軽氏が築城。このときの天守は、本丸西南隅に建てられた三重四階のものでしたが、その後落雷で焼失、1810年に津軽氏九代藩主が本丸の南東隅にある辰巳櫓を三重に改築して天守の代用とし、これが関東・東北地方で唯一現存する天守になります。

姫路城が名城といわれる理由は①城の縄張が螺旋式縄張ということ。②天守が連立式天守になること。③②に加えて千鳥破風や唐破風が巧みに組合った白漆喰総塗籠ということ。④城全体の構造が整い均斉がとれていること。⑤天守などの建造物が昔の姿で残っていることになります。

松山城は、賤ヶ岳七本槍のひとりとして知られる加藤義明が関ヶ原の戦いの戦功により道後平野の中央である勝山山上に築城を開始したことに始まり、五重六階の連立式天守をはじめ、二の丸、三の丸を配した大城郭で、完成したのは26年後でした。