丸亀城がもつ石垣の見事な曲線美はきっとあなたを魅了します

≪丸亀城≫
【種類】:平山城、【所在地】:香川県丸亀市一番丁、【築城年】:1597(慶長2)年、【遺構】:天守、城門、石垣、堀、【注目ポイント】:①最大の見どころは幾段にも積まれた高石垣、②高石垣の上にそびえる美しい小ぶりの天守

丸亀城は、豊臣秀吉の信任の厚かった生駒正親(いこままさちか)が播州赤穂(ばんしゅうあこう)から讃岐に入り、まずは高松城を築城し、続いて西讃岐の押さえとして、丸亀平野の海抜66mの亀山に、隠居城をも兼ねて1597年から1602年にかけて築城しました。しかし、元和(げんな)の一国一城令によって丸亀城はいったん廃城となってしまいます。その後、生駒家四代ののち、肥前国の富岡城から入城した山崎家治(やまざきいえはる)が1642年から再建にとりかかったものの、後継ぎがなく改易(かいえき)となり、その後に入った高極氏が城を完成させました。現在見ることが出来る天守はこの高極氏が造ったもので、三重の小ぶりなものながら、最上階に入母屋破風(いりもやはふ)、二重目には千鳥破風(ちどいはふ)、最下重には唐破風(からはふ)がしつらえてあり、三段に積み上げられた石垣の上に築かれたその姿は見事という一言に尽きます。

また丸亀城は城山全体に残っている石垣が美しいことで知られており、内堀から天守にかけて四段階に積み重ねられた石垣は、下から上に向かうにしたがって急勾配になるよう組まれていて、「扇の勾配」や「清正流」」などと呼ばれるほどの曲線美を見せています。その丸亀城を、地元では隅櫓(すみやぐら)や多門櫓(たもんやぐら)などを加えて、かつての本丸や二の丸などの主郭部を復活させたいと考えているようです。

さてここで丸亀城に関するお話をふたつほどご紹介します。
1、 むかし羽坂重三郎という男がおり、仕事をするときは常に裸になって一生懸命働くため、まわりからは「裸重三」と呼ばれていました。この男は丸亀城の石垣を完成させた功労者で、殿様も「重三の築いた石垣は完璧だ。鳥以外にはこの石垣を乗り越えることは出来ないだろう」と喜んでいました。しかし、重三郎は「私に一尺余りの鉄棒があれば、簡単にこの石垣に登ることができます」といい、鉄棒を使っていとも簡単に城壁を登ってしまいました。これを見た殿様は、重三郎を生かしておけば、敵が攻めてきて、重三郎が裏切った場合、とんでもないことになると考え、重三郎を騙して城内の井戸の底を探らせて、その井戸に石を投げ込んで重三郎を殺してしまいました。この伝説が残る井戸が二の丸井戸になるそうです。

2、 丸亀城の築城時、雨がしとしと降る夕暮れに、ひとりの豆腐売りが作事場付近で豆腐を
売るために歩いていました。この豆腐売りを、待ち構えていた入夫たちが捕え、用意していた穴に投げ込んで、お城の人柱として、生き埋めにしてしまいました。それ以降、雨が降る夜は城の犠牲となった豆腐売りの怨霊が、「豆腐、豆腐・・・」と泣き続けるのだといわれています。

この他にも二歳で父を殺され、三歳で母を失った弓組足軽の子・里也が剣術修行に励み、京極家が藩をあげてこの里也を援助し、三十年後にみごと父の仇討ちをする話など、いくつかの伝説が伝えられています。

皆さんもぜひ重三郎が造った城壁を見に丸亀城まで足を延ばしてみては如何でしょうか!