中城城の石垣を渡る風で古琉球を感じてください

≪中城城(なかぐすくじょう)≫
【種類】:山城、【所在地】:沖縄県中頭郡中城村、【築城年】:13世紀末~14世紀、【遺構】:石垣、礎石、復元城門拝所、【注目ポイント】:①第二次世界大戦の戦火を逃れ、沖縄県内で最も原型をとどめており世界文化遺産に登録された城跡、②野面積(のづらづみ)、布積(ぬのづみ)、相方積(あいかたづみ)という、すべての年代の特徴が残る石垣

中城城は13世紀末~14世紀に先中城按司(さきなかぐすくあじ)によって築かれ、15世紀末に中山(ちゅうざん)王・尚(しょう)氏の二代目王・尚泰久(しょうたいきゅう)を脅かし始めた勝連城(かつれんじょう)主・阿麻和利(あまわり)をけん制するために、中山王の命令で、家臣の護佐丸(ごさまる)が座喜味城(ざきみじょう)から移り住み、増築した城になります。

城がある中城村は沖縄本島中部に位置しており、石灰岩丘陵上に築かれた城には郭(かく)が6つ、北東から南西のあたりに並んで造られています。また城の西側に木造りの櫓が載っていたと思われる石造りの門があり、近年の調査によりその門が城の正門だったといわれています。

また西の郭はその門をとおって、さらに南の郭を通り過ぎ、そしてアーチ型の門を抜けた先の高い石垣に囲まれた場所に位置しています。当時としては高度であった築城の技術によって造られた中城城の美しさ及び堅牢さをみた、かの有名なペリー艦隊の島内探検隊が驚きを禁じ得なかったといわれています。

そんなすばらしい中城城でしたが、1458年に勝連城主である阿麻和利の策略によって落城の憂き目に遭ってしまいました。その後、尚氏がしばらくの間、使用していた中城城ですが、現在では建物は残っていません。しかしながら一部の石垣や石造拱門(せきぞうきょうもん)などは現存しており、平成12年には城の価値が認められ、世界文化遺産に登録されたのです。

さてここで、中城城を増築した護佐丸盛春についての逸話をご紹介します。
御佐丸は、毛国鼎(もうこくてい)の唐名をもち、琉球が三山(北山・中山・南山)分立の時代から統一に向かった頃の有力な智将であり、かつ琉球で一番の名築城家でした。山田城の城主であった護佐丸は、中山の尚巴志によって行われた北山(ほくざん)討伐に読谷山按司(ゆんたんざあじ)として参陣し、北山が滅亡した後、初代北山監守として北山城に在城しています。琉球王国の統一後、山田城西方4.5kmの丘に戦略的な新城・座喜味城を築いて居城することになり、その座喜味城築城にあたって、遠くは奄美諸島の人々まで工事人夫として徴用し、また山田城より手渡しで積石を持ち運んだといわれています。

その後、琉球王国統一の初期、首里王府の王権はまだ沖縄全土には確立されておらず、勢力を強めていた勝連城主・阿麻和利に脅威を感じ、これ牽制するために、王府の命で中城城に移りました。そこで、御佐丸は、中城城の強化を図るべく、阿麻和利の居城である勝連城に面している北東側に三の曲輪と北の曲輪を増築しました。
しかし、勝連城の阿麻和利と対峙していた琉球王国の忠臣・護佐丸は、阿麻和利の策謀に乗せられ、阿麻和利が総大将をつとめる王府軍の前に、中城城の門を開いて、夫人や子供もろとも自害して果てました。

こういった話は日本の戦国時代にもよくあるものの、やはり気持ちのいいものではありませんね。そんな不運の武将・御佐丸が眠る中城城で沖縄に吹く風を身に受けつつ、古琉球を肌で感じて下さい!

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