中城城は13世紀末~14世紀に先中城按司によって築かれ、15世紀末に中山王の命令で移り住んだ家臣の護佐丸が増築した城になります。現在中城城の城跡に建物が残っていませんが、石垣や石造拱門などは残っており、平成12年に世界文化遺産に登録されました。

リアス式海岸の宇和海の最深部に位置し、城の西側と北側が宇和島湾に面して、海水を堀に引き入れ海城の一面も兼ねた板島丸串城を、1601年に藤堂高虎が近世城郭へ整えました。高虎が移封後、富田氏を経て、伊達氏が老朽化した城の大改修に乗り出し現在の城の形になりました。

二条城は、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、上洛の際の宿泊所、朝廷監視の場、さらに儀礼施設として築城に着手、1603年に征夷大将軍拝賀の礼を行い徳川幕府を開きました。その後改築が行われ、三代将軍により本丸御殿と総塗籠の五重天守が造られ今日の規模になりました。

高遠城は三峰川の断崖を背にした本丸を中心に二の丸、三の丸を平面的に配し、各曲輪の間を土塁や空堀で区切った地形を活かした「後堅固」な甲州流の縄張になっています。しかし、武田勝頼の実弟・仁科信盛が城主のとき、織田信長の軍に攻められ、たった1日で落城しました。