沖縄の城の中で最も壮大な石垣が残る勝連城は見ごたえあり!

≪勝連城(かつれんじょう)≫
【種類】:平山城、【所在地】:沖縄県うるま市勝連南風原、【築城年】:12~13世紀、【遺構】:石垣、曲輪、井戸、礎石、【注目ポイント】:①現在も残っている沖縄の城の中もっとも壮大な石垣、②首里城とともに世界文化遺産に登録されたグスクのなかで最も築城年代が古い、

勝連城は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に建ち、沖縄の城の中でも最も古く、12~13世紀ごろに築かれたと考えられています。最後の城主となった阿麻和利(あまわり)は王権を奪取すべく首里城を攻めましたが、大敗を喫して滅亡し、このことによって首里城の中山(ちゅうざん)王権が確立されたと伝えられています。

勝連城は、標高約100mの台地に、いわゆる本丸と二の丸、三の丸が階段状に連なった構造になっており、南城(へーぐすく)、中間の内、北城(にしぐすく)の形で構成されていました。
城内から中国:元代の陶磁器が出土していることから当時の繁栄が偲ばれます。また城壁の石が道路工事の石材などへの使用のため持ち去られるといったこともありましたが、現在は復元工事によって往時の姿を取り戻されつつあります。そして2000年11月に首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されました。

さてここで、今なお英雄としての評価が高い阿麻和利についての逸話を紹介します。
勝連城主で、人々から名君と呼ばれた阿麻和利は貿易を推進していました。貿易の内容は主に螺鈿(らでん)細工に使用する貝の輸出や、さらに貿易に関する中継拠点としての活動を積極的に行い、かなりの莫大な富を築いたといわれています。そして注目すべきことがらは、本丸の曲輪にある宝物庫や二の丸にある曲輪の舎殿から、大和系・高麗系の灰色の瓦が出土していることです。これらは日本本土や中国大陸から技術を導入した可能性もありますが、おそらくは他国から輸入したものと考えられており、沖縄のグスクで瓦が出土しているのは首里城と浦添城、そして勝連城だけとなるため、勝連城は王城である首里城に匹敵するほどの経済力や軍事力を持っていたという証明とされています。

このように貿易を通じて、材を蓄え、そして勢力を伸ばしてきた阿麻和利を、琉球王国の国王、尚泰久は恐れ、その阿麻和利への防波堤の役目を名将として知られていた護佐丸に託し、護佐丸を中城城に派遣して守りを固めさせました。さらに自らの娘の百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせて身内に取り込むことにより阿麻和利を抑えようとしました。しかし若くて勢いのある阿麻和利の野望は止まることをしらず、謀略によって護佐丸が詰める中城城を滅ぼしたのち、さらには首里城攻略の準備を進めました。この動きを察知した百度踏揚は、従臣の鬼大城(おにうふぐすく)と共に夫の許を逃れ、命からがら勝連城を脱出し、首里城に危急を知らせました。そして首里軍と勝連軍による籠城戦が繰り広げられることになりましたが、勝連城は遂に陥落してしまうことになったそうです。

この伝説には諸説あり史料は残っていませんが、皆さんも沖縄の城の中で最も壮大な石垣が残っている勝連城に立って古の琉球の物語にぜひ思いを馳せてみて下さい!