≪松江城≫
【種類】:平山城、【所在地】:島根県松江市殿町、【築城年】:1607(慶長12)年、【遺構】:天守、石垣、井戸跡、復元櫓、復元城門、【注目ポイント】:①天守内部に展示されている日本最大の木製の鯱(しゃち)、②時代を感じさせる野面積(のづらづみ)の石垣

松江城は、関ヶ原の合戦の戦功により、出雲に所領を得た堀尾吉晴(ほりおよしはる)が、1607年に徳川幕府の許可を得て、宍道湖(しんじこ)を見下ろす標高28mの亀田山(かめだやま)に5年の歳月をかけて築きました。城主はその後、堀尾忠晴(ほりおただはる)、京極忠高(きょうごくただたか)を経て、信州松本から徳川家康の孫にあたる松平直政(まつだいらなおまさ)が入り、以後は松平家十代の居城として明治維新を迎えました。

松江城は、別名「千鳥城」とも呼ばれており、山陰地方において唯一現存する天守となります。その天守は外観五重内部六階の望楼型複合式天守で、姫路城に次ぐ平面規模を誇り、正面中央の入母屋破風(いりもやはふ)は豊臣秀吉の大坂城の天守の形式を受け継いだものとなります。一方でこの天守は極めて実践的なものとなっており、板張部分のいたるとことに石落(いしおとし)や狭間(さま)が設けられるなど、防備に関する工夫が凝らされています。また縄張についても、本丸の周囲を多門櫓(たもんやぐら)で囲み、石垣や土塀には屈曲や折れを多用するなど防御性の高いものとなります。

現在、当時のまま残っている建物は天守しかありませんが、南櫓(みなみやぐら)や中櫓(なかやぐら)、太鼓櫓(ったいこやぐら)が復元されており、さらに水堀も当時のまま残っているため当時の威容を偲ぶことが出来ます。

さてここで、松江城に関する逸話をふたつほどご紹介します。
1、 松江城山内にある城山稲荷神社に伝わる話ですが、1638年、家康の孫にあたる松平直政が松江に移ってきたとき、枕元に一人の美しい少年が現れたそうです。その少年は「私はあなたを全ての災厄からお守りする稲荷真左衛門と申します。もし城内に私が住む場所を作ってもらえるならば、城内にある建物はもちろん、あなたの江戸のお屋敷まで火事からお守り致します」と告げて消えてゆきました。そこで直政は城内に稲荷神社を建てたそうです。そのことから、ここの神札は火難除けとして、町中にあるどの家にも貼られていたようで、小泉八雲もこの神札が「松江の唯一の防火設備」と話をしていたそうです。その枕元にたった謎の美少年が、今でも約束どおり松江城や松江の町を守っているに違いないといわれています。

2、 廃藩置県に伴い、松平家から陸軍省の管轄になった松江城は、払い下げられることになり、米一俵が3円弱の時代に天守閣は180円で売りに出されたそうです。これを聞いた出東村(現・斐川町)の豪農・勝部本衛門が、旧松江藩士の高城権八らと共に、保存に立ちあがりました。その熱意が通じて、櫓は落札、解体されたものの、天守閣だけは残り、後に松平家の末裔が松江城一帯を買い取り、1927年に松江市へ寄付し、現在に至っています。

お稲荷様と市民に愛された松江城天守に登り、宍道湖に沈む美しい夕日を眺めてパワーを貰ってみてはいかがでしょうか!