他とはどう違うの?熊本城の「清正流」と呼ばれる石垣に注目!

≪熊本城≫
【種類】:平山城、【所在地】:熊本県熊本市本丸、【築城年】:1601(慶長6)年、【遺構】:櫓・城門・石垣・塀・井戸・復元天守、復元櫓、【注目ポイント】:①「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣、②築城名人の加藤清正らしい独特な縄張

54万石の城下町・熊本のシンボルであり、また日本三名城のひとつに数えられている熊本城。城が立っている茶臼山(ちゃうすやま)には、中世の時点ですでに千葉城(ちばじょう)と隈本城(くまもとじょう)があり、出田(いでた)氏⇒鹿子木(かのこぎ)氏⇒城(じょう)氏⇒佐々(さっさ)氏と城主が替わった後、1588年に加藤清正を迎えることになりました。清正は自身得意で、かつ優れた土木技術を駆使して、1601年に築城に着手し、1607年にこの城は完成しました。城郭の周囲は5.3km、面積98万㎡(東京ドーム21個分)。城内には大天守と小天守、49の櫓、18の櫓門、29の城門を持つという堂々たる規模の城となりました。また熊本城には籠城に備えて井戸が約120も掘られ、井戸によっては約40mの深さになっており、それらのうち現在でも17ヶ所の井戸が残っています。

熊本城は加藤家の改易後、約240年間にわたって細川家が居城としました。時を経て、1878年の西南戦争(せいなんせんそう)では、熊本鎮台(ちんだい)司令官・谷千城(たにたてき)以下約3,400名が守る熊本城が、西郷隆盛率いる薩摩軍約13,000名から52日間にもわたる攻撃を受けましたが、天守閣などが焼失したものの落城には至らず、難攻不落の堅固さを天下にしらしめました。
その熊本城は1955年に熊本城公園として国の特別史跡に指定され、1960年には大・小天守の復元、2008年には本丸御殿が落成しました。

さて熊本城の名を高めている特徴のひとつが見事な石垣になります。天下一流といわれた熊本城の石垣は加藤清正の名をとって「清正流(せいしょうりゅう)石組み」と呼ばれました。この石垣は独特な弧を描く扇の勾配になっており、加藤清正が近江(おうみ)国(滋賀県)から率いてきた石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」が持つ特殊技術を活かして造られたといわれ、下は30度くらいで緩やかですが、上に向かうほど角度がついて、最上段では75度の絶壁となっています。この石垣を登って攻撃する武者が、上部で反り返る石垣に行く手を阻まれ、ひっくり返ってしまうため「武者返し」とも呼ばれており、このような石垣は他の城には類を見ません。

また壮大なスケールでそびえ立ち、昔の面影を今に伝える国指定重要文化財の「宇土櫓(うとやぐら)」も大変見ごたえがあります。この櫓は西南戦争をはじめとする戦火から焼け残った唯一の多層櫓で、3層5階、地下1階から成り立っています。特に直線的な破風(はふ)と望楼(ぼうろう)に廻縁勾欄(まわりぶちこうらん)をめぐらした建築様式になっており、大天守・小天守に次ぐ第3の天守といわれています。

さらに石垣の上には平屋の櫓が築かれ、その長さや管理した人物の名前などが付けられており、創建当時のまま櫓が連なった豪壮な様子を見ることが出来る「東竹の丸」もぜひご覧いただきたいポイントです。国重要指定文化財の平櫓や五間櫓、四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓、源之進櫓などが現存しており、その中でも東北隅の高石垣の上に建っている東十八間櫓と北十八間櫓は20mにもなる城内屈指の櫓として知られています。

他にも様々な見どころはまだまだ沢山ありますので、加藤清正の渾身の傑作であるこの熊本城にぜひ一度足を運んでみて下さい!